右斜め上の『彼』ばい

常に右斜め上から、もう一人の自分が俺を見とった。
カッコよく言ったら、常に客観的に自分を見ることができよった。
カッコ悪く言ったら、常に人目を気にしながら生活しよった。
例えるなら夢の現実バージョン。夢って常に自分目線じゃなしに、自分が自分ば眺めとるよね。そのふにゃふにゃ感じゃなしに、もっとがっちりした感じ。
行動に移す前に、待てよって考え込む癖があった。それをやっても意味なかやろ、無駄なだけばいって『彼』が言ってくる。うん、そう言われたらそうやな。って納得して、ただただ安定を維持して来た自分。
それが嫌になった訳じゃない。安定した人生も悪くない。何もないって事は、逆を言えば何かを常に安定して持っているってこと。それはそれで素晴らしいことって思う。
でも俺はもう少し不安定になりたい。こんな事言ったら、贅沢者!とか、何をアホな事ぬかしよる!ってバッシングされるかもしれん。ん、そりゃそうだ。
以前なら安定と不安定を考えた時、明らかに安定を選んどった。善と悪なら、当然の様に善を選ぶように。…これは極端か。優等生と不良なら世間一般からは優等生の方が待遇もいいし、けど不良はそうでもない。そう、そんな感じ。
どちらかが良くてどちらかが悪いって考えの時点で、もうすでに間違ってた。安定が良くて、不安定が悪い。んなこたない。
真っ直ぐ突っ走る。何かカッコいいイメージ。ぐにゃぐにゃ歩いて行く。何かカッコ悪い。そんな先入観ってか、考えをなくしたい。

ん〜上手くまとめれるかな…

結局何を言いたいかっていうと、『彼』にさよならを言いたいってこと。俺に安定の良さを教えてくれた彼は、同時に不安定の良さも教えてくれた。結果、こうやって色々考えれたしもっと曲がりくねった人生を歩いていきたいってさえ思えた。
確実に21年間俺の道しるべになってくれとった。安定は安全やし、俺を守ってくれとった。
これは必然的な出来事なんかな。大人になるまで彼は見守っててくれた。道を踏み外さないよう、歩き方を教えてくれよった。でももうそのサポートも必要とせんくなった。
だって俺は安定っていう道を知っとる。真っ直ぐの道は見えてる。いくら遠回りしても踏み外す心配はない。それを教えてくれよったとかな。うん、そう考えたら辻褄が合う。そういうことにしとこう。
だったらもう彼は右斜め上におる必要はない。何も心配することはない。もう安心して左斜め下の俺の中に戻って来い。